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Appleも32ビット機とネットワークの時代へ・・そして

 
Mac Plusを買ったころ、Appleの最上位機としてMacintosh IIっていうのがありました。
Plusは一番ベーシックな機種だったのです。最上位のMac IIにはモトローラ68020マイクロプロセッサ及び68881浮動小数点演算処理(コ・プロセッサ)が搭載され、NuBus(ヌーバスとかニューバスとか発音)が6スロット。メモリはSIMMスロットがAバンクBバンクに別れて各4個あったと記憶しています。
 
詳細はこのあたりでお茶を濁しますが、今の機械と決定的に違ったのは最大搭載メモリ量が4MBだったということです。
なぜ4MBだったのでしょう?大容量のメモリが存在していなかったことが要因のひとつでもあり、Hメモリ・マネージメントユニット(HMMU)が68000ベースの24ビット・アドレス・ライン・モードを使用していたことです。
拡張キットとして存在したIIXキットでは68851ページ・メモリ・マネージメント・ユニット(PMMU)を搭載することで8MBまでリニアにアクセスすることが可能だったのです。
現在のパーソナルコンピュータの搭載メモリが標準で128MB、最大搭載容量2GB!!と言うのと比べたらおかしなほど少ないですが・・
 
PMMUは24ビットと32ビット・アドレスモードの両方をサポートすると共にUNIXオペレーションシステムの使用も可能になっていました。
わたしは実際にUNIXの走っているMacintosh IIxは見たことがありませんでした。確かApple UNIXとかいうものだったと記憶しています。あったとしても開発環境だけで、今のように完備したアプリケーションってものはなかったでしょうが・・・
この時代のOSはSystem6.0.7と言われたシングルタスクの時代でした。
本物のマルチタスクでアプリケーションを利用できるにはこれから10年待たなければなりません。
 
1990年になるとSystem7(システム・セブン)が登場し、疑似マルチタスクが可能となりました。
疑似というのは複数のアプリケーションを起動することは出来るが、裏で動いているアプリケーションはほとんど動作していない状態を指します。
ネットでファイルをダウンロードしながら表側のアプリケーションで画像をいじり、ワープロで文字を打ちながらプリントアウトするというような多彩な芸当は望むべくもありませんでした。
しかし、この頃のAppleが優れていた要因のひとつにネットワーク環境がありました。
DOS機は未だWindows2.0すら影も形もなかった時代です。300bpsの超遅いアナログモデムでパソコン通信をするのが関の山だった頃にAppleはLAN(今でこそ当たり前のように話す言葉だけど)を簡単に構築できました。
モデムポート・プリンターポートがRS-232Cの上位であるRS-422が装備されており、そこに今で言うところのトランシーバーに該当するLocal Talkユニットを接続することで芋蔓式に複数台の機械をネットワークで簡単に接続してファイルの共有を図ることが出来たのです。
プロトコルはApple Talkとして今も存在し、各々の機械はコネクタを接続するだけでアドレスを意識することなく簡単に互いのファイルを見たり交換したりする事ができました。
面白くて便利な機能でしたが速度は・・・・遅かったですねえ。Ether-Net・10Baseの10分の1以下でしたが、それをDOS機でやろうと思うとかなりの知識と努力とそして金を投資しなければ到達出来なかった。
 
しかし一般の方達には無縁で、先見性のある大企業のみがそれの有用性に気づき始めたばかりでした。
IBMの特約店という看板を上げていたわたしの勤めていた会社でさえネットワークと言えばもっと大規模で手の掛かるものだという認識だったのですから、Appleという会社は恐ろしく先進的な会社だったのです。

2002年08月22日記述

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